2015年6月6日 懐かしの水郡レトロ号乗車記
懐かしの水郡レトロ号に始発の水戸から乗るには、磐城棚倉始発の826Dで移動しなければならないので、それを使ってまず水戸へ移動します。
水戸到着時既に、その水郡レトロ号が常陸大子から送り込まれ、1番線に待機していました。

これがこれから乗車する「懐かしの水郡レトロ号」。
国鉄急行色"ふう"キハ47・48形と、厳密には国鉄急行色ではありませんが、十分その雰囲気を醸し出しています。
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後寄りの1号車は、キハ48-523。
ドア横には車椅子やベビーカーのお客さん対応のステッカーが貼られています。

前寄りの2号車は、キハ47-1514。

通常は新潟エリアで普通列車としても運用されることがありますので、乗降ボタンが標準装備されています。

そして、新津運輸区所属を示す「新ニツ」表示。

まだドアが開きませんので、改札口付近の発車案内LEDを見に行きました。
今回も水戸支社、気合が入ってますねー

ホーム側の発車案内は、残念ながらアートな表示はありませんでしたが、
停車駅の1つ、磐城浅川の浅が旧書体の「淺」になっていました。レトロな雰囲気を味わってもらう水戸支社の狙いだとか。

しばらくすると、常陸大宮から来た828Dが到着。
当駅始発の535Mと合わせて、E531系とE130系の3並びが見られました。
E531系がキハ110系だったら最高なのですが、それは贅沢すぎ(笑)
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時間を置いて、E657系との並びも撮ってみました。
1・2番ホームには人が集まりだしているため、構図が強引ですけれどもw
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ちなみにこのE657系(K5編成)ですが、先頭部にふくしまDCステッカーが貼り付けられていました。
常磐線は会津に行きませんが、なぜか八重たんのイラストが書かれています。

8:35頃、車両のドアが開いたので中へ。
1号車のキハ48-523はデッキがあり、客室内に入ると4人掛けのボックスがズラリと並んでいます。

2号車キハ47-1514はデッキがなく客室内にドアがあるので、少し違った印象を受けます。

全車指定で座席定員は各車両とも10ボックス40人で計80人。
ロングシートはフリースペースとなり、ボックスシートも1号車の郡山寄りの4ボックスと2号車も車両端にある2ボックスもフリースペース扱いでした。
なので、本来の定員の3分の1以下ですので、一般車両ながらもゆったりした旅を味わえるようになっています。

それでは、郡山までの長旅を懐かしい雰囲気で参りましょう♪
ゆっくりと発車し、常磐線と分かれます。エンジン音が普段乗っているキハE130系とは違い、重厚感のあるエンジン音です。

車内はフリースペースの座席に移動してくつろぐ客も多かったからか、1ボックスあたり1〜2人ほど。
私のボックスもしばらく他に誰も来なかったため、窓を開けて足を伸ばして思い思いの時間を過ごしました。
那珂川を渡り、常陸青柳を通過すればすぐに車窓は田園地帯に。
どこもかしこも田植えが終わり、一面きれいな青田が見られました。

上菅谷で320Dと交換。
お互いほぼ同時に到着するので、あまり停車時間はなく発車していきます。

その次の常陸大宮を発車すると、瓦屋根の古い民家も目立つようになり、まさしく懐かしい情景に包まれます。

やがて、久慈川も見えるようになります。
空はどんよりとしているものの、山々の新緑とのコントラストが素晴らしいです。

茶畑も見えてきました。
ちょうど時期的に茶摘みシーズンでもありますね。

上小川で832Dと交換のため、少々運転停車。

撮り鉄の姿もちらほら伺えましたが、渓流釣りを楽しむ人の姿も見受けられました。
久慈川の鮎は美味しいですよー

常陸大子に停車。
側線にDE10形がいました。そういや、水郡線花回廊の時もいましたので、
イベント列車運転時には遭遇率高いのかも?

1、2分ほど早着したので、少しの時間ですが撮影することができました。

転車台を横目にして常陸大子を後にします。
いつかここでSLの転車するシーンを見たいものですが。。。

しばらくすると、沿線自治体の観光パンフレットと浅川町のあさまるピンバッジ、納豆スナックが配布されました。

納豆スナックはう○い棒そっくりな菓子で、うちの近くのスーパーでも見ますが、
上野東京ラインオリジナルパッケージとなっていました。

他にも、大子町と石川町からはクリアファイル、棚倉町のたなちゃん、浅川町のあさまる、須賀川市のボータンシールも入っていました。
ボータンは最近誕生したマスコットキャラで、牡丹園の牡丹と松明あかしの炎をモチーフとしています。

福島県に入り矢祭山を通過。
久慈川の流域も狭まってきました。

山がちだった車窓も、再び田園地帯が目立つようになります。

最初の福島県内の停車駅が磐城塙。ここで8分停車します。
ユニークなデザインの駅舎と国鉄急行色のコラボはアンバランスな気もしますが、これはこれで良しでしょう。
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停車中は珍しいデザインの駅舎の外観を撮影したり、中を見学したりしている人が大勢いましたが、
あまり知られざるであろう2階は図書館となっています。日中の時間帯なら列車待ちの時間もうまく潰せます。
私も幼少期の頃何度かこの図書館で時間を過ごしたことがありましたね。

324Dの到着を待ってから発車します。
到着後すぐの発車のため並びは撮れませんでしたが・・・

磐城塙からは駅長コスで記念撮影するサービスがありました。
車内のゆったりした雰囲気と、この列車にかなりの特別感がありましたので、私もやってもらいましたw

唯一の棒線停車駅、磐城浅川。
元々は交換設備を持っていた駅でしたが、昨年末から下りホームの使用が停止され、今では下り線の線路も剥がされていました。

列車は里白石から携帯の電波も入りづらい山がちなところを抜けて磐城石川へ。
一昨年乗った「水郡線花回廊」はここが終着駅でしたが、水郡レトロ号はまだ旅が続きます。
ここも常陸大子同様、やや早着しましたので少し撮影ができました。


磐城石川を出発すると、終点の郡山まで途中の停車駅はありません。
実は、記念撮影をしてもらっている時に途中駅から乗ってきた客がいましたので、
場所移動して磐城塙停車中に居合わせた知人の友人らと会話しながら乗車を楽しんで参りました。
そしてあれよあれよという間に阿武隈川を渡り、東北線と合流。

安積永盛で6分運転停車し、東北線の線路へと入ります。

国鉄車両でもキハE130に負けず劣らずの軽快なスピードで、郡山ターミナルを駆け抜けます。
ここで臨時8326Dとすれ違い。

郡山で水郡線は通常3番線に入線しますが、2番線に入線してきました。
新幹線保線技術センターの皆さんが横断幕を持ってお出迎えです。

1番線ホームにも横断幕を持った職員らいますが、これはフルーティア2号の乗客のために用意されたものw

3時間7分にわたる水郡線全線のレトロの旅が終わりました。
そして、すぐに幕が回送に変更。
1番線(下4)と2番線(磐西)間の下3番線には、同じ日に運転されたご当地キャラ白河号の車両、485系ジパングが留置されていました。

やがてフルーティア2号も到着し、夢のイベント列車3並びが実現!
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フルーティアと連結されていた一般車両もDCラッピング車でしたので、絵になります。
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水郡レトロの後続の329D到着後、常陸大子に向けて回送されていきました。
復路もあればいいのにと思いますが、翌7日は到着後新津へ返却する兼ね合いもあるため実現せずなんですよね。。。
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回送の様子は動画にも収めてみました。
さて、今回乗車した懐かしの水郡レトロ号には記念乗車証が配布されました。
大きさは定形封筒よりちょっと縦長のサイズで、ラミネート加工がされてあります。

裏面はスタフ(運転時刻表)となっていました。

その裏面をよく見ると、回送が回想という誤字になっているのに気づきましたが、
安積永盛運転停車の際、車掌さんの放送で解説があり、水郡レトロで今までの旅路を回想してもらいたいという想いであえて「回想」という字にしたこと。
やりますなぁ、水戸支社さん。

指定券は水郡線全区間多客と車両レア度と片道のみの運転設定、定員の面からSLより難しいのではないかと思われましたので、
えきねっとの他、窓口10時打ちも行いました。
窓口は撃沈したものの、どうにかえきねっとで通路側の席を確保成功!
通路側でも先述した通り、発売してないフリーの座席も多くあり、当日着席分散してたので問題ない結果となりましたw

なお、知人のために7日もえきねっとと窓口10時打ちをしましたが、この日はあっさり両方確保でき、
知人もえきねっとで確保成功とちょっと拍子抜けでしたw
6日分の1ヵ月前だとGW最終日でしたが、7日だと明けの平日で10時打ち競争率が低かったからかも知れません。
懐かしの水郡レトロ号、一番飛びついた点が水郡線全区間の設定でしたが、急行色のキハ47・48という車両の外見、内装、走行音でレトロ感いっぱいの雰囲気で、
眺める車窓もまた普段乗ったいるキハE130系やSLともまた違った風に見えました。
また、水戸駅発車案内の磐城"淺"川表示といい、記念乗車証の「回想」の意図的印字といい、水戸支社のギミックも良かったです。
特に「回想」の今までの旅路を回想する、という意味はまさにロマンチックな言葉だと思いました。
今回の水郡レトロ乗車に限らず、他のイベント列車に乗車したりその他旅中良い出来事を旅の最後に「回想」することって、旅の思い出をいつまでも残すために、
大切なことなんだなぁと思わされました。
当HPも鉄旅の良さを皆様にレポしたり、PRする以外にも、自分にとってもこの「回想」を繰り返し旅行記を制作して、数ヵ月後、数年後にまた見返すことにより、
思い出をより確固たるものにしたい、という目的があります。
そして、私は家庭的事情からあと数年したらまともに旅行できなくなるかと思われます。
だからこそ、これからも旅の一つひとつの思い出をを大切にしていきたいなと思います。
最後にちょっと重苦しい話になって失礼致しました。
おわり
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